珍獣日記⑤(2026.1.28~2.3)

2026年2月3日、KADOKAWAより私の初小説『珍獣に合鍵』が発売されました。この「珍獣日記」は、『珍獣に合鍵』をたくさんの方に手にとってもらえたらいいなという願いを込め、発売日までの期間限定で公開を前提に執筆したものです。

今回が最終回!お楽しみいただけますように。

128日(水)

朝食は、昨日の夕飯の鍋のスープで卵雑炊。それからコーヒーを淹れて、ロッキーからもらったダークチョコレートでコーティングされたプレッツェルを食べる。夫が、ダークチョコレートだからカロリーはゼロだと言い張っている。
出勤して諸々の仕事を大急ぎで片付ける。それから会議に出て虚無の時間を過ごす。
夫の作ってくれたお弁当は、作り置きの甘辛だれの鶏肉と塩だれきゃべつとジャーマンポテトと卵焼きとマヨネーズを和えたレタスが入っていた。
インターネットで文学忌の一覧を眺めるのが、趣味とはいえない趣味未満の趣味のひとつなのだが、今日も弁当を食べながらそれをやっていた。そのときふと、私がうっかり文豪になったら、自分の命日は「ぐりこ忌」じゃなかったら「珍獣忌」と呼ばれるかもしれないと思う。珍獣忌って変すぎるよ~いやでもまあ河童忌という先例もあるしな~などと考える。珍獣忌を回避するためには『いちご100%』みたいなかわいいタイトルの名作を上梓しなくてはならない。でもなんにせよ、文学忌一覧に早乙女ぐりこの名が載るくらい『珍獣に合鍵』が売れますように!!!
午後、新しいシステムの運用。仕事をなんとか終わらせて新宿三丁目へ。久々に伊勢丹ダッシュを決める。なくなったファンデーションと化粧下地を買い、滞在時間10分ほどで去った。色々見たいものはあったけれど美容院の予約時間が迫っていたので仕方ない。
副都心線で池袋へ。美容院に行く。美容師Mさんと、最近私が受けた新刊取材などの話になり、メディア上で顔出しをしていないため、写真撮影ありの取材のときは仮面をつけていることなどを話す。今後も顔出すつもりはないのかと聞かれたので、ヤマンバギャルくらい元の顔の形状がわからないメイクをして出るのはありかも、と答えたら、それめっちゃいい、と盛り上がった。このファッションと髪型の系統で顔だけギャルメイクなのやばくない?と言ったら、109に復活したアパレルブランドなどをいろいろ教えてくれた。もし今後なにかの授賞式に出る機会があったらヤマンバメイクにギャルファッションにウィッグで行こうと思う。トリートメントの待ち時間に元祖ヤマンバギャルのあぢゃさんの現在について調べたりして有意義な時間だった。
Mさんに会うと夫との暮らしのことをいろいろ聞かれる。Mさんは私と夫のハッピーなエピソードを聞くのを楽しみにしているのだそう。そうだハッピーを言語化していこう、と思う。
夫と恵比寿で待ち合わせてタムジャイサムゴーに行こうと思っていたのだが、遅くなってしまったので家の近くのタイ料理屋に方向転換する。最寄り駅で夫と待ち合わせて食材を購入してからタイ料理屋へ。カオソイガイとパッタイとフライドポテトとノンアルビールとジンジャーエールを注文してもりもり食べる。元々タムジャイサムゴーに行くつもりで、辛い麺が食べたいモードになっていたからカオソイガイで満たされた。新しいスタッフがどんどん増えていて、仲良しの店員さんの姿は見当たらずちょっぴりさみしい。

帰宅して、友人まやたんから届いた『珍獣に合鍵』出版祝いの記念品を開封する。箱を開けてみると、『珍獣に合鍵』の書影が表面にプリントされたキットカットだった。この本の題字のオリジナルフォントと春日井さゆりさんの装画、そして高瀬隼子さんが寄せてくれた最高の帯コメントは、真っ赤なキットカットのパッケージに負けない凜とした存在感を持っている。まやたんが同封のカードに書いてくれたメッセージもとてもうれしく泣きそうになる。まやたんはデビュー作『速く、ぐりこ!もっと速く!』の発売時にも書影つきチロルチョコを贈ってくれたのだった。いつも気にかけてくれて本当にありがたい。
取材やトークイベントなどで、ずっと友人たちと一緒に創作活動をしたりちょっとしたパーティーで集まったりしてきたことを話すと、楽しそう、うらやましいと言われることがある。そういう友人が人生の中にいつもいてくれたことは当たり前ではないのだと思う。私の友人たちと友人でいられている私は、本当に本当に恵まれているのだと思う。自分に才能があるかないかとかそういうことはさっぱりわからないが、とにかくずっと友人や仲間に恵まれているのだということはよくわかっているので胸をはって言っていきたい。
今、読者の方やお世話になっている書店さんや編集者さんや書き手のみなさんも勝手に「仲間」に含みました。勝手にすみません。


129日(木)


夫の弁当を用意する日。長谷川あかりレシピの牛肉とピーマンのさっぱり蒸しを作り、ナンプラーを入れてエスニック風味にした卵焼きを作り、レタスとミニトマトを添えて弁当箱に詰めた。朝食は冷凍庫の残り野菜の味噌汁にごはん、弁当用のおかずの残り。
コーヒーを淹れてドライアプリコットを食べる。
昨晩から、アニメ「ぼのぼの」のシマリスの声真似をするのにはまっている。こんなに声真似にはまるのは映画「ミニオンズ」シリーズを見まくってミニオンの発話をひたすら声帯模写していた頃以来だ。私が首をかしげて「いぢめる?」と訊く度に夫は淡々と「いじめないよ」と答える。
夫が仕事に出かける支度をしている間に、でかいまな板を取り出して大量のキャベツと人参と玉ねぎと生姜をざくざく切り刻み、できた順にユニロイの鍋に放り込んでいく。ラム肉も切って塩もみする。夕飯用に長谷川あかりレシピのラム肉と野菜の美容液スープを煮込むのだ。元のレシピが2人前なので倍量で作ろうと思ったら鍋が溢れそうになり、1.5倍量にとどめることに。それでも鍋の縁ぎりぎりまで水が入って、蓋をしようとする度ふきこぼれるので、蓋をせずに数十分煮た後、味見と称してスープ用の器一杯分がっつり食べて量を減らした。それからやっと蓋をして、またぐつぐつ煮込む。
在宅勤務のまりと電話して2時間ほど話す。互いの新刊のこと、SNSには書けないあれこれのこと。
武塙さんと浅沼さんから『珍獣に合鍵』届いたよ報告が来る。
昼食にお弁当の残りを食べる。ナンプラーの卵焼きがしょっぱすぎた。
午後、仕事をしたり取材の準備をしたり。そして支度をしてKADOKAWAのビルに向かう。前回中央線のダイヤ乱れでテンパったので、今回は地下鉄で向かった。
取材に来てくださった方が、新刊ゲラだけでなく前作や今公開している日記も読み込んできてくださってありがたかった。お話していて楽しかった。取材が無事に終わって安心する。写真撮影用に仮面とサングラスを持ってきたけれど、撮影がなかったので意味もなく怪しい仮面とサングラスを持ち歩いている人になった。
その後サイン本作成。先週、アンジュルム・伊勢鈴蘭さんのバースデーイベントで配られたカードのメッセージが手書きで全部違うメッセージだったことに感化されて、私もサイン本に全部違う一言コメントを入れる。サイン本がほしいと思って予約してくれた方に喜んでもらえたらいいなあ。
サイン本作成のときに、私の小説がKADOKAWAから出版されるきっかけを作ってくれた恩人のような方が来てくれて、『珍獣に合鍵』の感想もお聞きすることができてとてもうれしい。その方に「私も船木結さんが好きで・・・・・・」と言われて、えええっ本当ですか?!とテンションが上がり、挙動不審になって早口であれこれ話してしまった。またゆっくり話せたらうれしい。
南北線に乗って不動前まで。久々にフラヌール書店を訪れる。何冊か本を選んでレジに持っていくときに、久禮さんにご挨拶して自分の新刊もお渡しできた。以前お店に行ったときに『ウィッチンケアvol.15』に私が寄稿した小説を褒めてくださって、書き下ろしの長編小説を書く励みにもなったので、それを伝えられてよかった。
キックボクシングへ。参加人数が多くてばたばたしている。
帰宅して、朝のうちに仕込んでおいたラム肉と野菜の美容液スープの仕上げ。塩とカレー粉で味付けをする。これがほんのちょっぴりの塩とカレー粉だけで味付けしているのに大変滋味深く、肉も野菜もとろけるように柔らかく、ラムの臭みも全然なくて、仔羊という生き物がこの世に存在することに感謝の舞を捧げたくなるくらい大変すばらしい煮込み料理なのだ!何度作っても新鮮な感動がある。ハロステを観ながら食べていたら、1.5倍量作ったのにあっという間に鍋の底が見えた。
ハロステの後に、カナメストーンのチャーハン作りの動画を観た。カナメストーンのふたりが暮らす一軒家は、かなり散らかっているしキッチン設備も古くて整っているとは言いがたいし包丁もボウルもまな板もないんだけれど、そこで仲良く工夫しながら料理や食事をする彼らはとても楽しそうでちっとも燻った感じがないのがすごくいい。お互いに対する感謝の気持ちを常に口に出して相手に伝えていて、彼らの料理動画を観ていると暮らしの豊かさというものが何で決まるのかということがよくわかる。カナメストーン動画に感化され、今のマンションも居心地いいけれどやっぱり一軒家にも住みたいなあ、海の近くの古い戸建てを買ってフルリノベしてでかい犬飼ってさあ、庭にピザ釜作って着物部屋とサンドバッグのあるトレーニング部屋も作ってさあ、みたいな話をしながら、不動産サイトで湘南地区の物件を探したりセカンドハウスのローンの仕組みを調べたりした。


130日(金)


理想のセカンドハウスの夢を見た。途中で、こんなにいい戸建てをどうして手に入れられたのだっけ? ローンは? 仕事は? 今のマンションは? とあれこれ気になってしまい、夢の中で夢だと気づいてしまって悲しかった。
朝食はわずかに残った昨日のスープとごはん。食後にコーヒーを淹れてドライアプリコットを食べる。
仕事は、やることがいっぱいあってばたばた慌ただしい。夫が作ってくれたお弁当は卵焼き、ウインナー、ジャーマンポテト、塩だれキャベツが入っていた。ウインナーがお弁当に入っていると〈概念としてのお弁当〉にぐっと近づく感じがする。それがタコさんウインナーじゃなくても。
午後は二つ会議に出た後で、嫌すぎて先延ばしていた仕事を集中して終わらせた。それから退勤。近所のスーパーで焼き鳥を買って帰る。夢のような依頼メールが来ていたので、張り切ってお返事する。文学フリマ広島のWEBカタログを更新して、溜まりがちだった日記をひたすら書く。
夫から退勤の連絡が来て、夕飯の支度を始める。鍋にお湯を沸かし、残り野菜をざくざく切ってせいろに詰めて蒸す。切り干し大根のナンプラーナムルを用意する。焼き鳥をグリルの網に並べて温める。帰ってきた夫がせいろ用のごまマヨネーズだれを作ってくれたのでそれも一緒にテーブルに並べる。
お腹いっぱいだー久々の焼き鳥おいしかったね、と言い合って食べ終えたのに、食後、後片付けまで終えたら妙に小腹が空いている感じがして、正月に実家でもらった干し芋を開封した。干した果物と干した芋が好きすぎる。もちろん一袋まるまる食べた。


131日(土)


朝食は夫が用意してくれた豆腐と玉ねぎの味噌汁とごはん。味噌汁は白味噌でそのこだわりがうれしい。白味噌は身体がほこっと温まるかんじがする。コーヒーを淹れてクルミッ子の切り落としの最後の一切れずつを大事に食べた。
仕事中に、人生結局のところ運で決まるよね、運気を上げようと思ったら徳を積むしかないよね、という話をしたりした。嫌いな仕事がある日なので嫌々働く。先日受けた取材で、仕事にフォーカスした小説を書くことで自身の仕事観も前向きになったと話したけれど、今日はがんがんに後ろ向きになる。
仕事に対する後ろ向きな気持ちに浸りながらも、夫が用意してくれた牛丼弁当の包みを開いて気持ちがぱっと華やぐ。「がっつり味の牛肉で、もりもりごはんを食べたい気分」という私のリクエストを覚えていてくれたらしい。牛肉と玉ねぎを煮るのでなくバターで炒めて粗挽きの黒胡椒をまぶした、ちょっぴり洋風のとてもおしゃれな牛丼。紅生姜も添えてくれている。肉とバターの香りがよくて望み通りもりもりごはんを食べた。
退勤。日記を更新する。夫が不在。「今病院きてる」とだけ連絡が来ていて、どこか具合が悪いのかととても心配したが、思い立って歯医者に検診に行っただけだというのでほっとした。
ここからしばらく、2/4(水)機械書房サイン会、2/8(日)文学フリマ広島8、2/15(日)荒川町BOOK PARTYとイベントが続くので、そのお知らせ記事を書いた。歯医者と夕飯の買い物を終えた夫が帰宅したので、周囲にまとわりつく。
夕飯はぶりしゃぶ。これも私のリクエスト。夫が野菜を切り、卓上鍋でスープを温めながら、自家製ポン酢やもみじおろし、ごま油わさび塩などのすてきなものを次々に作っていく。私は煮立ったスープに野菜を投入したり、だしをとった昆布をかじったりしていた。そしてぶりをしゃぶしゃぶして、自家製ポン酢に浸して口に運ぶ。自家製ポン酢はリンゴ酢と生のゆずで作ったそうで、果実のさわやかな風味がぶりによく合ってなんともすてきだった。生わかめや薄くスライスした大根もおいしかった。少量のぶりでもかなり満足感があるね!と言い合ったけれど、ぶりがなくなった後には豚肉を投入して食べた。Mー1のアナザーアナザーストーリーを観た。
明日、仕事がなければいいのになあと言いながら寝た。


21日(日)


日曜日なのに早起きしなければならず、先にベッドを出た夫に起きるよう促されて「大丈夫!もうすっきり目覚めているよ!」などとはきはき答えたら、はきはきしすぎていて逆に怪しまれ、戻ってきた夫に布団を引っぺがされた。朝食は昨日のぶりしゃぶのスープで雑炊。化粧をしてクルミッ子とコーヒーでエネルギーをチャージする。
手袋を探して棚をがさごそしているときにハロプロのペンライトを落とし、そのペンライトを拾った夫が青く光らせて玄関で送り出してくれた。
仕事は明るいうちに終わったので、少しでも休日気分を味わいたくて夫とカラオケに行った。喉がかすっかすになる。近所のおいしいパン屋に寄って明日の朝食のパンを買って帰る。
もう2月ですって。
エゴサーチをしたらKADOKAWAの2月の文芸単行本新刊情報が出てきた。開いてみたらそこに赤川次郎と森見登美彦の名前もあったのでびっくりした。十代の頃から読んでいた大作家の名前と一緒に自分のペンネームが並んでいるなんて信じられない。
夕飯は夫が作ってくれた。リュウジレシピで山本ゆりさんも作っていたらしいローストポーク、かぼちゃとクリームチーズとクランベリーとくるみを和えたサラダ、ベビーリーフとトマトをごまだれで和えたサラダ。パーティーっぽいメニュ-ですてきだ。じゅうじゅう焼き付けた豚の塊肉をレンチンで柔らかく仕上げたローストポークは、にんにくが効いていてとにかくおいしい。玉ねぎとバターを炒めたたれをたっぷりかけて食べる。かぼちゃとクリームチーズのサラダも大好物なので幸せな気持ちになる。日曜なのに働かねばならず嫌だったけれど、カラオケにも行ったし夕飯もごちそうだったのですてきな休日を過ごした気分になれた。


22日(月)

昨日に引き続き早起き。寝起きは悪くないほうだし早起きが苦手なわけではないが、睡眠時間を労働のせいで不当に削られるのが許せない。労働は不当。朝食は昨日パン屋で買ってきたパンとコーヒー。あんパン、カレーパン、レレの3種類を半分に切って分けて食べる。間違いない三種。

仕事中、「〇〇でいいですか?」と上司に確認して進めた業務について、上司が他の人に「早乙女さんが絶対〇〇って言っているからまあこれでいきましょう」と話しているのを聞き、薄ら笑いになる。
キックボクシングに行く。ダイエットキックなので頑張って筋トレをする。
帰宅したら湯豆腐ができていて、例のおいしい自家製ポン酢で食べた。
明日が節分かつ本の発売日なので、晩ご飯に手巻き寿司パーティーをすることになった。買ってくるべきものを書き出す。
風呂から上がってそろそろ眠ろうかというところで、夫が「豆腐使っちゃった!」と叫んだ。明日の朝食に豆腐が必要なのに、冷蔵庫にあった豆腐を湯豆腐にしてしまったということらしい。一緒にコンビニに豆腐を買いに行くことに。夜の散歩は楽しいから無問題。

一番近くのコンビニで豆腐を無事発見。ついでにおやつも買って帰った。空気が澄んでいて、空を見上げたら星がいくつも光っていた。えんぴつみたいなタワマンの向こうの空に、まん丸い見事な月も見える。キックボクシングから帰ってくるときはまだ空に雲がかかっていて、月ももんやりしていたのに。外に出てよかったねえと言って帰る。
ここ数日、眠るときに布団から足がはみ出してもそんなに冷えなくなった。春が近づいている?


23日(火)


夫が豆腐入りのヘルシーなホットケーキを作ってくれた。私はコーヒーを淹れる。焼きあがったホットケーキを大きな皿に2枚重ねてバターを載せ、周囲にバナナを散らし、スプレータイプのホイップクリームまで飾って、メープルシロップをかけて食べる。贅沢だけれど、豆腐のおかげでふわっと軽く、胃がもたれないすてきな朝食だった。追いホイップをしようと思ったらぶりぶりとすごい勢いでホイップクリームが出てきて、全然ヘルシーじゃなくなっちゃったけれどおいしかったのでOK。
夫を見送り、本日が『珍獣に合鍵』の発売日なのでツイートをぽちぽちがんばる。日記を書きつつ爪も塗る。書影カラーにしようと思って、OSAJIの〈裏側〉をベースに塗って、親指から中指まではライトイエローの〈待ち合わせ〉、薬指と小指はライトブルーの〈ストロー〉を重ねた。

ブルーのワンピースを着て川崎へ。もけもけした素材のコートを着ていたからか、繊維が飛んで眼球に貼り付き、こすってもこすっても目がごろごろする。
改札前で母と合流して、アゼリアの牛タン屋に入った。牛タンとごはんを口に運んでいたら、あんたは本当においしそうに食べるねえ、だからシンくんもご飯作っていて楽しいんだろうねえ、としみじみ言われる。目は相変わらず痛くて、食べている間も間もぎゅっと目をつむったり手で抑えたりしていた。トイレに寄って鏡を見て繊維を取り除いたらようやくすっきりした。
それから丸福珈琲店に移動して、コーヒーを飲みつつ母としゃべる。母とはよく会っているけれど、こうしてふたりきりで話すのはなんだか久々で楽しかった。今私は単衣の色無地を仕立てようかと考えていて、それにいつか紋を入れたくなるかもしれないので、母に我が家の家紋がどんな紋様か確認した。いざ入れようと思いついたたときに、わかる人が誰もいなかったら困る。
母はうちの家紋を教えてくれた後で、「同じ紋でも向きが色々あるらしいんだけれど、でも、『うちの紋の向きは違う!』なんてケチつけてくる人はもう誰もいないんだから、なんでもいいわよ」と言ってきた。それだったら別にもう家紋じゃなくて、アンジュルムのAのマークとか入れたいなあ、と思った。着ていく可能性があるのは親族のイベントでもなんでもなくちょっとしたパーティーだし、別に父方の〈家〉を象徴するものを背中に背負いたいわけでもないのだ。
「家の行事で紋付きの着物なんて着る機会がこの先あるかなあ、〇〇や▲▲(姪と甥)の結婚式とか?」と言ったら、「お母さんが、お父さんと離婚して再婚するかもしれないよ」と母があながち冗談でもなさそうな感じで返すので、いいぞどんどんやれと思った。でも、父と離婚して再婚する母の結婚式に出るのに私が父方の家の家紋を背負っていく必要こそまったくないような……。

私が「せっかく二度目の結婚式するならハワイで盛大にリゾート婚しようよ。家紋がどうとかシケたこと言ってないで」と言ったら、母も、それもそうね、と笑っていた。
ラゾーナまで母と一緒に向かい、私は本屋に寄ることに。本屋の前で別れ際、私が「今日、自分の本の発売日なんだよね」と言ったら、「やだーそうなの?全然そういうの教えてくれないんだから!じゃあお母さんも買う!」と母も本屋についてきた。紙の本はもう買わないんじゃなかったの?と訊いたが、私の本は別らしい。
『珍獣に合鍵』は小説の棚になく、検索機で調べたらエッセイコーナーに平積みされていた。「恋愛も仕事も家族関係も何もうまくいかない!!それでも生きるしかない!!」と書かれた最高のポップ付きでうれしい。母が1冊をとってレジに持っていくのを見送る。

母には『速く、ぐりこ!もっと速く!』が発売されたときも伝えていて、そのときも買って読むと言っていたけれど、感想は聞いていない。こわくて聞けない。『珍獣に合鍵』も母がどう読むかわからない。それでも、発売日に母に会えて、直接伝えられてよかったなと思った。
母と別れた後、川崎とその他のエリアで何軒かの本屋を回ったけれど、50%くらいの確率で『珍獣に合鍵』はエッセイの棚にあった。帯にも「初小説」と書いてあるのだけれど。
『珍獣に合鍵』は私が書いた初めての長い小説で、担当編集さんと何度も話し合いを重ね、エッセイとの違いに苦戦しながら書き上げたものだ。私のことを知らずに、本屋にふらっと小説の新刊を探しに来た人にも手にとってもらえたらいいなあ、と思っていたので、小説の棚に『珍獣に合鍵』がないのはちょっと口惜しい気がする。でも、おそらく『速ぐり』や『随風』のイメージもあって、書店員さんがそちらの方が売れると判断してエッセイのコーナーに置いてくれているのだろうとも思う。だから、なにはともあれ、きみたちは置いてもらった場所で咲きなさいね、と棚に並んだ本たちに声をかけた。すてきな出会いがあって、誰かに手に取ってもらえますように。
最寄り駅のカルディでノンアルコールのスパークリングワインを買い、スーパーで夕飯の買い物をして、花屋にも寄った。うれしいことがあったら花を買うと決めている。今日は自分の本の発売日だから花を買うのだ。書影の雰囲気に合う気がしてミモザを2本買った。花言葉もその場で調べて、いいなと思った。
帰って早速ミモザをマリメッコのピンクの花瓶に生ける。ワーキングスペースが明るくなる。
津村記久子『ふつうの人が小説家として生活していくには』を一気読み。夏葉社の島田さんによる津村さんのロングインタビュー。島田さんの発言と津村さんの発言が行空きもなく同じフォントで並んでいて、ところどころで、これはどちらの発言だろう?とごっちゃになったりして、それが互いの声が入り交じっているようで面白い読書体験だった。「面白いことを追うことが自分の幸せとか、多少なりとも賢くなることにつながってることを信じてる」という津村さんの言葉にがーんとなる。作家生活最初の一年、付箋にエピソードを書いていって並べ替えながら小説のプロットを作るやり方をしていた、という話を読んで、私が『珍獣に合鍵』でやっていたのと同じだ、と思う。ゼロから話を組み立てるときだけでなく、最後まで書き終えた後で修正するときにもこのやり方はとても役に立った。
最後まで読み切って、私も書かねば、と思った。日記でなく、小説を書かねば。
ここのところ、暇さえあればひたすら自分の名前や新刊の書名でエゴサーチをし、それ以外の時間はずっとこの日記を書いていた。宣伝のために始めた、久々の公開前提の日記だったけれど、これを書くのは何よりも自分のために、めまぐるしい出版直前の日々を不安に絡め取られずに過ごすために、必要な時間だったと思う。でも、それも今日でおしまい。私の初めての小説の本は無事に世に送り出された。誰にどう受け取られるかわからないけれど、ともかく私の手元からは旅立った。私はまた小説を書く。『珍獣に合鍵』で終わりではない。小説も小説以外の文章も書く。
商業デビューしてから、専業か兼業かと人に尋ねられることが増えた。専業になりたくないの?と訊かれたりもした。「兼業」という言葉にずっと違和感があって、訊かれる度にちょっともやもやしていたけれど、それは、執筆が私にとって勤務先の会社の業務と並列に並べられるものではないからだった。執筆は私にとって、職業や業務ではなく業(ごう)だった。2つの職業を兼ねているのではなく、勤務先の業務と業を兼ねているという意味で、私は、兼業の、文筆家なのだった。
手巻き寿司用に固めにごはんを炊いたり甘い卵焼きを作ったりしていたら、インターフォンが鳴った。夫が鍵を忘れたのかなと思ってドアを開けたら、顔くらいある真っ白い花が目に飛び込んできた。大きなフラワーアレンジメントの袋をこちらに向けて差し出す夫の姿がほとんど見えない。部屋に入って袋から花を取り出すと、白い薔薇やキセイヨウギクをベースに、赤と黄色のマリーゴールド、シャーベットオレンジのカーネーションが差し色で入っていて、「出版おめでとう」と書かれたカードが添えられている。夫は近所の花屋さんで『珍獣に合鍵』の書影を見せて、この本の出版記念のお花を、と伝えたらしい。手で持ち帰れる一番大きなサイズの花をお願いしたと言う。全体に淡い色合いのアレンジメントに赤が一輪だけ入っているのは、本の装画に赤い花の鉢植えがあるからだろう。少し離れたところにいてももふんわりと華やかな香りがする。

花たちに見守られながら、ふたりで手巻き寿司パーティーをした。フラワーアレンジメントの上のほうにはまだ蕾の小さな花もあって、もう少しして満開になるのが楽しみだ。

〈珍獣日記・了〉